好きな一行、本読まなきゃ。

好きな一行を切り口に、その本が読みたくなるブックログを目指してます。

不幸は不幸によって癒される

 

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

 
罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

 

 罪と罰(ドストエフスキー)からの一行

おい、亭主、おまえが売ってくれたこの小びんが、おれを楽しませたと思うのかい?悲しみさ、悲しみをおれはびんの底に求めたんだ

 

貧困にあえぐ登場人物、昔は官吏だったのに、自らその職を捨てる。

そのため、娘は娼婦になり、家計を支えることになる。

父親は娘の給料を持ち出し、居酒屋で酒に変えて、すぐにびんを空にする。

仕事を得て、まともになったかと思えば、すぐやめて、給料を全部酒につぎ込む。

母親は発狂して死ぬ。父親は馬車に轢かれて死ぬ。

残された小さな子供を娼婦は養わなければいけない。

しかし、父親の葬式の日に、賃貸していたアパートから追い出される。。。

 

実際の文章を読まないと、この絶望的な不幸は伝わらないけど、ドストエフスキーの描く不幸には、中毒性があって、思わずのめりこんでしまう。

 

行き過ぎた不幸は書き方を間違えれば、陳腐になるけど、ドストエフスキーの不幸は妙なリアリティをもって迫ってくる。ロシアの話なのに。

 

逆説的だけど、絶望的な不幸は、自分の気分が落ちている時、嫌なことがあった時に、ふれると癒しになる。

 

自分の不幸が相対化されて、大したことじゃないように感じるから。

 

中村文則、太宰治も好きで、不幸なもの、陰のある作品が元々好きというのも理由だが、ドストエフスキーには、助けられていて、気分が落ちた時に意図的に読んでいる。

 

多分、本物のファンからしたら間違った読み方なんだろうけども、自分が悲しい気持ちの時に、中途半端に幸福な物語にふれると、とても空虚に感じてしまう。。

 

やっぱり、ひねくれているからか。